やわらかな陽光に包まれた南ルヴァルの地は、春の訪れを喜んでいた。短くはあるが容赦ない寒さをもたらす冬の女神は、その純白の裾を揺らしながら空の彼方へと去っていった。代わって現れた春の女神は、暖かい生命の喜びの彩りを添えた軽やかな被服でそこここに飛び回る。
グレイハウンドは、春の女神とその子供達をみながら、自身も春の日差しの暖かさを感じて筋肉が緩むのを感じていた。故郷であるライトマイの地は、通常気温がこの地ほどに下がることはないのだ。なにしろ彼が一面の雪景色をみたのは、今度の冬が最初なのである。もっと北のスレイマにでも行けば雪は見られる。しかし今のところ、彼はそこへ行ったことはなかった。
だというのに、現在彼は連合王国から千数百マイル離れたフェルナンド帝国にいる。政治的状況からいえば、「仮想敵国」とでも言える土地である。彼がライトマイの王族であることを考えると、ここにいてよいわけがないのだ。
彼がフェルナンドへやってきたのには、無論理由があった。とある人物を探しているのだ。その名はブラックホース。彼の本名をグレイハウンドは知らない。ただ世界的な勇者であるという事実が、彼にこの危険をともなう旅を実行させた。フェルナンド皇帝アーサー・フェルナンドは、ブラックホースの親友である。「キングスパーティ」--- グレイハウンドは、いつか自分もそんな冒険者集団に入れるだろうかと考えていた。
グレイハウンドは、ライトマイ王国の王弟ヒュギリピデスの第三子である。王位継承権は第五位。不自由なく暮らすには十分なはずである。その彼が危険な一人旅に出たのは、その出自に問題があるからである。
彼の母親は、王妃テュフォーではない。どこの誰かも不明である。なぜ彼が王妃の子でないことが判るかといえば、ライトネア王族はその魔術的特徴によって、肉体の力は劣るが知識と知恵に優れたものとなるのである。つまり魔術師である。どう間違っても戦士にはなれないのだ。そして、彼は戦士である。
親兄弟の対応を見ていれば、自身が特別であるということは嫌というほどわかった。小さい頃から、彼は独りぼっちであり、自然と「勇者」という存在に心惹かれた。彼が当代の勇者として選んだ人物、それがブラックホースだった。
確かにブラックホースは、勇者と呼ばれるに相応しい偉業を達成してきたし、実力もある。ホーメルトの伝統流派アラス流を極めた剣豪でもある。だが、彼の達成してきた偉業は彼ひとりで成し遂げたものではないのだ。アーサーをはじめ、ラムサダス、ジアザー、ドバヌールといった仲間との協力によって、それは可能であった。それが年若いグレイハウンドには判らなかった。彼にとっては、ブラックホースは仲間を「率いて」偉業を達成した英雄だったのだ。
彼は「フェルナンドにいれば、ブラックホースは現れる」という楽観的観測によってこの地に留まっていたのである。そして、既に3ヶ月が経過していた。普通の人間ならとっくに根を上げているだろうが、「勇者に会って教えを請う」と固く誓った彼には、「あきらめる」という選択はなかったのである。
結局、今回の旅では一度もブラックホースには出会うことができなかった。心残りであったが、これ以上フェルナンドにいると本当に危険かもしれない。帰郷するべきときだった。なに、彼もブラックホースもまだまだ若い。生きてさえいれば、いつかは会うこともあろう。それは頼もしい味方としてかもしれないし、恐るべき敵としてかも知れない。後者はなるべくさけたいところだが、いずれにしろ自分の信じる英雄であることに変わりはない。ようするに、生き残っていればいいのだ。
グレイハウンドは、この旅でブラックホースが決して超人的な力を持っていたわけでなく、仲間とともに苦しんで、困難を切り抜けてきたということを知った。信じていたようなスーパーマンではなかったのだ。その意味で寂寥感は否定できなかったが、そのかわり、自分の英雄を少しだけ身近に感じられるようになった。ブラックホースの生い立ちを知ったことで、不幸なのが自分だけでないということもわかった。だから、意味こそ変化したが、ブラックホースが彼にとっての英雄である事実に変わりはない。
国へ帰れば、やはり家族に疎まれることであろう。「帰ってきたのか」 冷めた声でそう弟に語りかける兄の声を、もう何度も聞いている。今までは、その声を聞くたびにいやな思いをし、部屋に閉じこもってしまったりもした。けれど、今回は違う。きっと「ああ、だってここは僕の家だから」とでも言い返してやれそうだった。
Fin.