「…この曲線を再現するには、非常なる苦労がございまして、陛下にもまずご満足頂けるできになったものと自負している次第でございます。陛下と言えば獅子、獅子と言えば陛下ということで、我々としてもこの記念すべき日に美しい黄金の獅子を陛下に献上できますことは、大いなる喜びなのであります。また…」
軍工場関係者の言を、ラムサダスは完全に聞き流していた。いや、正確には聞くに堪えなかったのだ。自慢気に語る彼の口を拳で塞ぐことなど、やるだけ空しい。彼は大いなる落胆の淵にどっぷりとつからされていた。というのも、この眼の前に立つふてぶてしい男が言ったように、この日は彼とその臣下たちにとって記念すべき日 ― 建国一周年の日だったのだ。
式典は綿密に計画され、新設の空戦隊の隊長、シオン・エスリークが試作戦闘機によるセレモニーを行って幕を閉じることになっている。
だが、工廠から引き出されたその試作機は、それを見た瞬間にラムサダスを脱力させて余りある外観であった。設計主任いわく「黄金の逞しき獅子をイメージしたその優美なる機体」は、それでも観衆の興味をそそるという効果はあった。なればこそラムサダスもすぐさま彼らを更迭したりはしなかった。これで一応飛んでくれれば、あとは訓告だけでいい。
式典は、これまでのところ滞りなく進行していた。諸都市から来訪した長たち。食べ物がふんだんに振る舞われ、質素だが彩りのある飾り付けに観衆の人気は上々。旧帝国からは想像できなかった熱気が彼らを包んでいた。「ラムサダス陛下万歳！」そんな声がラムサダス自身の耳にも届く。これはこれで喜ばしいことだ。
そしていよいよ、エスリーク「少佐」（帝国では軍級がないので、便宜上旧帝国の軍級で呼ばれている）が試作機 ― コードRFX-001へと搭乗した。一千をこえる視線がその独特のフォルムを持つ機体に注がれる。エスリークが腕を上げ、キャノピーを閉じる。機体は一瞬前後に揺れてラムサダスをひやりとさせたが、徐々に前方へ進み始めた。加速はかなりのもので、あっという間に数百メートルを進む。トリオのマクシミリアンが人体への影響を設計技師に質していた。技師は当然のように堂々と胸を張っていた。
「黄金の獅子」は、はるか彼方で離陸し、垂直に近い角度でぐいぐい高度を上げていった。「ほぅ…」「おお」などといったどよめきがそこここに漏れた。エスリークの適応性は噂以上らしく、ラムサダスはじめ特別席の者たちは一様に安堵のため息を漏らしていた。
しかし、それも長くは続かなかった。コードRFX-001は、急旋回の途中 ― 「後ろ足」の片方を遠心力に任せて放り投げた。続いて垂直尾翼（？）が後方へ「射出」されるのが、地上の人々にも視認できた。誰の目にも異常は明らかであった。「まずい！」情報担当部門のトルネイオスが叫んだ。「あれではもともと悪い姿勢の制御の能力が、更にひどくなっちまう！ あいつでも無理だ！ 落ちるぞ！」
エスリークの方でも焦っていた。先ほどから機体が言う事を聞かなくなっているのだ。もともと反応が「鈍すぎる」と思っていた彼だったが、ここへ来て「すぎる」でも済まなくなっている。現在の飛行角度と推力からすれば、何れゆっくりと俯角を増していき、およそ45度角で式典会場の外の空き地に激突する…彼のセンスがそう教えていた。会場への被害はまずないだろうが、この記念すべき日に…。
機体の回復が不可能であると悟ると、エスリークは備えられた脱出装置に手を延ばした。ところが、そのレバー ― 引きさえすればあとはすべて自動で脱出できるそのレバーに、彼の腕（長さは標準的なはずだ）が届かないのだ。何という設計！ しかし今は設計士を呪っている場合ではなかった。セーフティベルトを解除し、体を自由にしなければ。彼はベルトの端にあるスイッチに指を滑らせた。
カチッ
音だけが空しく響いた。外れない！ 先ほどの振動で、器械が破損したのだろうか！？ 刹那、エスリークは最後の瞬間を想像して背筋に冷たいものを感じた。地上の人々にも分かる程度にまで、すでに機体は降下しているのである。彼は遮二無二ベルトを切断できるようなものを探した。
胸の内ポケットから、いつ入れたのか折り畳みナイフが転がり出た。彼は信ずる神であるジョルツに感謝の言葉をつぶやいた。急いで刃を出し、堅いベルトを切る。わずかずつではあるが、ないよりましだ。
すでに地上数百メートルという所で、ベルトは大きな音を立てて弾けた。ナイフが弾みで手から飛び、それは彼の太股を傷つけて床に落ちた。痛みを堪えながら、彼は脱出装置のレバーを引いた…。
ラムサダスはすでに機体を見ていなかった。深く頭を垂れ、両手を結んで悔やんでいた。やはりやめさせればよかったのだ。しかし、観衆の「おぉ！」という叫びによって、彼はその瞳を再び「墜ちる獅子」へと向けた。すでにそれは四肢を失い、たてがみの半ばすらもげて煙を吹き出していた。しかし、そのキャノピーは後ろへはね上げられ、そこから白い煙を棚引かせて操縦席らしきものが飛び出していた。ラムサダスは我知らず立ち上がっていた。まだ助かる見込みがあるのだ。
機体はエスリークの左前方で急角度に地面に激突し、爆発炎上した。彼は必死で操縦席にしがみついていた。セーフティベルトを切断したので、体を支え、固定するものがないのだ。
脱出装置・・・噂ではRFX-001の設計主任であるギョーム・クーベルタンは、「我が設計に脱出装置など不要！」と公言して周囲を感動のるつぼと化さしめ、結局設計に入れなかったらしい。しかし、流石に危惧を感じた彼の部下によって秘密裡に脱出装置の設計が行われ、現に登載されたということだ。事実ならまったく恐るべきことである。エスリークは、そんなことを考えながら、ほぼゼロ速度で地上へと生還した。脱出装置には地面との相対速度を計って、それをゼロにするような、何らかの仕掛けがあるらしい。が、それを確かめる時間はない。迎えに来た仲間達とともに、皇帝に次第を報告をせねばならないのだ。彼は当然の如く厳罰を覚悟した。
「飛ばぬものを飛ばせることは誰にもできないだろう。針の穴にロープを通すようなものだ。卿には何の罪もない。危険極まり無い任務、ご苦労だった。恩賞を与える故、この週末は休むといい。委細はトリオ司令部に任せる。」
エスリークは落ちついた表情で語られた皇帝の言葉を、呆然としながら、けれども大いなる感謝の思いで聞いていた。なんという寛大さか…。唯一力による支配・旧帝国の支配しか知らなかった彼には、この処置はにわかに信じられなかった。だが、脱出の際の怪我には丁寧な手当が施され、仲間達も一様に無事を喜んでいるのだ。
彼は久々に涙を流している自分に気がついた。
シオン・エスリークが、命の続く限り皇帝と帝国を守護するという誓いを立てたのは、この直後のことであった。逆に設計チームではクーベルタンが解任され、他のメンバーには「次はない」という厳重注意が申し渡された。ただ一人、脱出装置を考案し、搭載したライトニングには恩賞が与えられた。